浦島爺アップデートの日々

全ての常識、体験、知識が役立たない世代の悪あがき 

小澤征爾氏の死を悼む  2   

当時、日本人の海外旅行者は、企業関係者、団体旅行者、がほとんどで

個人旅行者や外人との同行者など見たことがなかった。

どうせ理解できないだろうと、日本語で思っていることを英語での会話の中に混ぜて使っていた。

僕の頭の中では彼はネパール人のシェルパで、ヨーロッパ人トレッカーのガイドとして

案内しているものばかりと思っていた。

何故、その事実を彼は隠そうとしているのだろう?

これだけカッコよくて堂々としている彼が

堂々と事実を言えばいいのに・・・・

かれこれしているうちに、飛行機は万雷の拍手の中ルクラ飛行場に到着した。

飛行機を降り荷物を整理し、ナムチェバザールに向かって歩き出す。

しばらくすると後ろからあのアジア人が走って来て、僕に折りたたんだ紙切れを差し出し30分後に見てくれと言って戻っていった。

30分後、僕は紙切れを開いてみると、日本語で「年末にコンサートを東京でするから聞きに来てくれ。」と書いてあった。

僕はハッとして自分の記憶を辿る。

そうだあの人、学生時代、友人や大学の助手と現代音楽ディスク・コンサートを主催したことがあったが、その時かけたレコード ”ノーベンバーステップ”の指揮者小澤征爾にそっくりだ。

僕は彼の来た方向を見たが、もう影も見えなかった。

思い込みで、せっかくの出会いを台無しにし、彼のプライドも傷つけたかもしれないことを後悔すると同時に、世界の中で一人でも堂々と行動している彼に畏敬の念を感じた。

あれ、もうもう45年以上の月日が流れる。でも今も彼との出会いは忘れることはない。

小澤征爾さんお悔やみ申し上げます。                      

小澤征爾氏の死を悼む  ネパールでの無礼  1

小澤征爾氏が亡くなったとニュースで知った。

何の関わり合いもない関係であったが、一度だけ会ったことがある。

1977年12月カトマンズ空港。

ルクラ行の飛行機は天候不良で一週間ものあいだ運航休止が続いた。

僕は、毎日空港とホテルの間を行き来した。

その甲斐あって、やっと飛び立てる日が来た。

歓声を上げて喜ぶ多くのトレッカーに混じって、数人の欧米人と一緒に会話している一人の蒙古系アジア人が目に入った。

小柄ではあったが背筋を伸ばし堂々としたその立ち居振る舞いに、”あっ、日本人と違うな! 国際的に働いている人はさすがに堂々としてるな!”と呟いた。

セスナの中、機中から見えるヒマラヤの山々。

僕はそのアジア人に山々の名前を聞いてみた。

”私はネパール人ではないので、山の名は知らない。”と言ったので

日本語で小さく”別にネパール人であることを隠さなくてもいいのにと呟いてから

もう一度、山の名を聞いてみた。

すると、またネパール人でないといってきた。

”別に隠すこともないのに・・”と呟いて、また聞いてやった。

こんな事を何回も、何回も続けた。